何も取り柄がないという人

よく「自分には何も取り柄がない」という人がいますが、実情としては2つのパターンがあると思います。

「いやいやそんなコトないでしょ!」と返したくなるような人があえて謙遜して言ってるケースと、自分に対して自信がなさげで本当に心から発してるっぽいと感じるケース。

ま、謙遜して言ってるなとコチラが感じるような人は声高に自慢するほどの取り柄とまではいかずとも、大抵それなりに自信があるものをお持ちだと思うし、人並み以上の何かを持ってる人も結構多いと推察します。

なので、ここでは『自信がなさげで本当に心から発してるっぽい人』について私見で推考していきます。

他人や世間一般との比較

自信なさげかどうかは置いといて「自分には何も取り柄がない」と感じてたり思い込んでる人の多くに該当すると思われるのが『他人や世間一般と比較する』思考。

そりゃ誰しも他人や世間一般とついつい比較しがちになるもんなんで致し方ないと言えばそれまでですが、要は捉えよう次第。

仮に、『他人や世間一般の人は何かしら自慢できるような取り柄を持っている』という事実があったとして、

「それに比べて自分には何ら自慢できるようなコトはない・・・」

と感じる人がいる一方で、

「別に人に自慢できるような取り柄なんかないけど、そんなコト大して気にせず暮らしてるよ!」

と、あくまでも「自分は自分、他人は他人」の判断基準をベースに生きている人もいますよね。

持って生まれた性格や今までの自分を取り巻く環境なんかも多々影響するもんだと思うんで、自然発生的に起こる思考を変えるのはそうそう簡単にいかないもんでしょうけど、ここで偉大な賢者の名言を。

他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である。

引用|バートランド・ラッセル「幸福論」

自己肯定感

自分には何も取り柄がないとある意味心の底から本気で思っているという人は、一度『自己肯定感』について考えてみてはいかがでしょうか?

自己肯定感

そのままの自分を認め受け入れ、自分を尊重し、自己価値を感じて自らの全存在を肯定する「自己肯定感」の感覚は、何ができるか、何を持っているか、人と比べて優れているかどうかで自分を評価するのではなく、そのままの自分を認める感覚

引用|一般社団法人日本セルフエスティーム普及協会

「人と比べて優れているかどうかで自分を評価するのではなく…」という箇所は先の項目『他人や世間一般との比較』で取り上げた思考そのもので、やはり先ずポイントとなるのはココのようですね。

そして更に重要と思えるのが「そのままの自分を認める」という部分で、自己肯定感のキモとなるのは「悪いところも、良いところも引っ括めてありのままの自分」を受け入れるという事だと思います。

自己肯定感の低い人は、「他人や世間一般の人に比べて、自分にはこれといって自慢できるようなコトはない・・・」と嘆くのに対して

自己肯定感の高い人は、「自慢できる程のコトはないかもしんないけど、自分にもそれなりに良いトコあるよ!」と感じていたりするはずです。

完璧主義

最後に完璧主義な人についても取り上げておきます。

傍から見ると結構な腕前や技量を持っているように思えるのに、本人からすると納得のいく範疇には至っていないようで、「こんなもの取り柄のうちに入らない」なんて言う人がいます。

もちろん謙遜して言ってる人も当然いますが、自分が取り組んでいることに対して『完璧にこなさないといけない』という強迫観念が自己否定に繋がっている人もいます。

「こんな程度では人に認めてもらえない」という思考から生じているんでしょう。

ただ精神科の先生曰く「完璧主義の根本に自己否定がある」と述べられていることもあり、完璧主義な人が結果として自己否定しているのではなく、自己否定から自分を守るために完璧を追い求めるようになったというのが真理な気がします。